松井田城址保存会のホームページ
松井田城について
松井田城は戦国時代に修築された広大な山城です。
標高410m(比高130m)の山の尾根に、
東西に1Km、南北に1.5Km(面積約75
ヘクタール)の城域を有しています。
北条方の西の要として東山道を押さえる要衝にあり、
大道寺駿河守政繁が城代の時に大改修されました。
天正十八年(1590年)に秀吉の北条攻めが
始まると豊臣方北国勢(前田利家・利長父子、
上杉景勝、真田昌幸、松平康国・康真兄弟)の
約三万五千の大軍に囲まれ、
三千余(一説には二千余)の寡兵ながら総攻撃に
耐えて開戦から約一ヶ月持ちこたえましたが、
落城(降伏開城)しました。
四百三十年の歳月を越えて広大な城の遺構は草生す
まま、全域が落城した当時のまま手つかずに残って
います。
発掘して整備すれば、戦国時代の山城の縄張りが
見られる県内有数の中世城郭であり貴重な文化財
です。
現在は、松井田城址保存会が案内板を整備したり、
定期的に草刈りや倒木処理を行い、歩きやすくな
っています。低い山ですが、急坂もありますので
山登りの恰好で御越しください。
山ヒルが生息していて、野生動物も出没しますので
ご注意ください。
【お知らせ/新着情報/日常の活動】
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昭和61年に中世城郭研究会の専門家が来町、松井田城址は、全国にも数少ない
「築城技術・規模・保存状態」どれをとっても歴史的に素晴らしい価値があり、
後世に残すべく、町のシンボルとしても国の援助で保存していくべきだと提言されました。
同年に松井田町教育委員会では松井田城全域の測量を行いました。
平成2年に松井田町は、松井田城址の保存並びに活用を図るため、「松井田城跡保存活用基金条例」を制定しました。
昭和63年頃に、町で国の史跡指定を目指す方向性はありましたが、地権者の問題や周辺開発の問題があり話が進まず頓挫して、その後、安中市との合併騒動などもあり行政主体の保存活動は空中分解してしまいました。
合併して安中市になっても行政サイドでの松井田城址保存の目立った動きは無く今日に至ってます。「松井田城跡保存活用基金条例」により積み立てられた基金は、安中市に引き継がれ、今日でも存続しています。